第1問 世界史上のマイノリティ(少数派)
2017年度の第1 問の出題は4択式による解答で,4択式の正誤問題を中心として,年表を利用して歴史的出来事の時期を問う問題やグラフ読み取り問題が出題された。基本的な知識を抑えてあれば確実に正解できる問題がほとんどであった。問2は地図上の位置なども把握しておく必要があり、少し難しかったかもしれない。また、問4や問9はある程度の年号の知識が必要な問題となった。

第2問 世界史上の革命や政治体制の変化
2017年度の第4問は、4択式による解答で、4択式正誤問題を主としながら、地図による地名選択や正誤問題、穴埋め問題で構成されている。問7は、解説でも述べた通り、「メキシコ革命」とあまり出題されない内容が題材とはなっているものの、比較的易しい問題となっているため、正解しておきたい。また、ロシア革命や中国革命など、展開が複雑になっている出来事が題材となっている傾向にある。

第3問 国家が諸地域を統合するために採用した制度
第3問では、歴史上のさまざまな国家の政策について問われている。形式としては正誤問題を中心に、地図を用いた問題が一題含まれた。B,Cについては比較的判断しやすい問題が多く見られたが、Aにおいて少しなじみの薄い用語や知識が問われた。問1のティマール制、問2の日本の治安維持法、問3の探検者などについてはよく知らなかった受験生も多かったかもしれない。正確な知識が欠けていても、消去法等で正解を導き出すことが求められた。

第4問 世界史上の自然環境・資源と人間との関わり
2017 年度の第4問の出題は4択式による解答で,4択正誤問題を中心に、穴埋め問題、年代並び替え問題、地図を利用した問題などで構成されている。政治史を主な出題題材としながら、問4や問9のように文化史も問われている。問7の年代並び替え問題は、大きく時代がずれているため、同じ出題形式の問題の中でも比較的易しい。

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①	誤 ネストリウス派は、漢代ではなく唐代の中国に伝わった。 ②	誤 フス派が異端とされたのは、コンスタンツ公会議である。トリエント公会議は、1545年に対抗宗教改革の一環として開かれたものである。 ③	誤 アリウス派は、キリストが人間であると主張し、異端とされた。三位一体説を唱えたのはアタナシウス派であり、これが正統教義とされた。 ④	正 フランスのルイ9世は、カタリ派(アルビジョワ派)を征服した。これをアルビジョワ十字軍という。  問2  2  正解は③ 解説 ①	誤 モノモタパ王国は、現ジンバブエから現モザンビークにかけての地域を領土とした。付近にある川はニジェール川ではなくザンベジ川。 ②	誤 アマルナ美術が栄えたのは、信仰改革とテル=エル=アマルナへの遷都を行ったアメンホテプ4世の時代である。クフ王は古王国時代の王で、ギザのピラミッドで有名。 ③	正 ベルベル人はマグリブ地方の先住民である。侵入したアラブ人の影響を受けてイスラーム教に改宗したものが多かった。 ④	誤 マダガスカルは、フランスの植民地であった。

①	誤 アラゴン王国とカスティリャ王国が統合されてできたのは、スペイン王国である。 ②	誤 ラテン帝国は第4回十字軍によって成立した。第4回十字軍はインノケンティウス3世の命で行われたが、本来の目的を捨ててコンスタンティノープルを攻略したものである。 ③	誤 シチリア王国を建てたのは、ノルマン人である。 ④	正 726年、ビザンツ帝国のレオン3世は、偶像崇拝を否定するイスラーム教に対抗するために聖像禁止令を出した。 B 問4  4  正解は② 解説 全インド・ムスリム連盟は1906年、イギリスの支援で結成されたインド内ムスリムの政治団体である。このイギリスの政策はベンガル分割令と同様、インドのムスリムとヒンドゥー教徒の分断を目的としている。よって、正解はbである。  問5  5  正解は② 解説 ①	誤 アイバクは、奴隷王朝を創始した。 ②	正 サラディン(サラ―フ=アッディーン)は第3回十字軍においてイェルサレムを奪回した。 ③	誤 アナトリアとは現在のトルコがある小アジアを指す。ムワッヒド朝が進出したのはイベリア半島である。 ④	誤 アチェ王国は、スマトラ島北部に建てられた。  問6  6  正解は② 解説 a	正 チョーラ朝は、BC3世紀から13世紀にかけて南インドの東海岸に存在した王朝であり、海上交易で栄えた。 b	誤 ゴアをアジア貿易の拠点としたのはポルトガルである。

①	誤 アイグン条約は、1858年にロシアと清が結んだ条約である。アムール川以北をロシア領、ウスリー川以東をロシアと清の共同管理地と定めた。 ②	誤 ロシアは、1867年にアラスカをアメリカ合衆国に売却した。 ③	正 ソ連は第二次世界大戦中の1939年、ラトヴィアを含むバルト3国を併合した。 ④	誤 1979年、ソ連はブレジネフの下でアフガニスタンに侵攻し、1988年にゴルバチョフ政権下で撤退した。  問8  8  正解は③ 解説 a	誤 第一次世界大戦が終結したのは1918年である。グラフによると1905年ごろにドイツの銑鉄生産量は、イギリスの生産量を上回っている。よって誤り。 b	正 ロシア(ソ連)で第2次五か年計画が行われたのは1933年~1937年である。この時期には確かに、銑鉄生産量が大幅に伸びている。  問9  9  正解は④ 解説 チェチェン紛争は、チェチェン共和国がロシア連邦からの独立を要求して勃発したものである。ソ連が崩壊したのちにおこったものであるから、時期としてはdである。

世界史上の憲法に関する問題。近代以降に制定された憲法の中から出題されている。誤っている選択肢を選ぶことに注意する。 ①	正 日本国憲法は、主権在民(国民主権)をうたっている。日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されている。GHQ草案に基づいて作成され、内容には主権在民、象徴天皇制、平和主義、基本的人権の尊重が含まれており、徹底した民主化が目指されたものとなっている。 ②	正 アメリカ合衆国憲法は、三権分立の原則を採用した。アメリカ合衆国憲法は、1787年の憲法制定会議で採択された。大きく以下の3つの特徴を含んだ。 (1)外交・通商・国防・徴税などの権限を付与し、連邦政府の権限を強化 (2)三権分立を定め、中央政府が過度に強力にならないようにしたこと (3)人民主権による共和政を規定 三権分立は、立法権(連邦議会で行使)、行政権(大統領が行使)、司法権(裁判所が行使)で構成されている。 ③	正 ヴァイマル憲法は、男女平等の普通選挙を規定した。ヴァイマル憲法は、1919年に制定されたドイツの憲法。当時の世界でもっとも民主的だとうたわれた所以は、人民主権、20歳以上の男女普通選挙、大統領の直接選挙などを規定したことにもある。 ④	誤 ミドハト憲法は、トルコで制定された。ミドハト憲法は、1876年にオスマン帝国の最初の憲法として制定された。起草者は、宰相ミドハト=パシャであり、内容には上下両院の議会設立を含んだが、ロシア=トルコ戦争(1878年)の勃発を口実に停止された。  問2  11  正解は② 解説 世界史上の議会や集会に関する問題。様々な年代・地域で実施された議会や集会が出題されている。 ①	誤 ウィーン・ベルリン三月革命(1848年)で、メッテルニヒが失脚した。メッテルニヒは、ウィーン会議を議長として主催し、その後オーストリアの宰相としてウィーン体制を主導した。しかし、1848年の革命の勃発を機に失脚し、イギリスに亡命した。 ②	正 アテネでは、成年男性市民による民会が開催された。民会は、古代ギリシアにおける最高議決機関であり、18歳以上の成年男性市民全員で構成されていた。ちなみに、アテネにおいては、BC4世紀以降では参加者に手当も支払われた。 ③	誤 模範議会が開催されたのは、イギリス。模範議会は、1295年にエドワード1世が招集した身分制議会。大貴族・高位聖職者以外にも騎士や都市代表が参加している。 ④	誤 ドゥーマが開設されたのは、ロシア。ドゥーマは、第1次ロシア革命後に開設されたロシアの国会。1905年のニコライ2世の十月宣言をうけて開設された。議員は制限選挙で選ばれ、権限にも制約があった。

世界史上の共和政や共和国に関する正誤問題。ここでは、フランスの共和政と、リベリア共和国が出題の対象になっている。 a	正 フランスで共和政が復活したのは、ルイ=フィリップの亡命後。七月革命(1830年)後には王政(七月王政)が訪れ、そこで王を務めたのは、ルイ=フィリップだった。しかし、有産階級を優遇した保守的姿勢から、共和派の改革要求に反対した。二月革命(1848年)でイギリスに亡命し、その後フランス国内では臨時政府が成立し、第二共和政が始まった。 b	正 列強のアフリカの植民地が進行しているなかで、リベリア共和国は独立を維持した。植民地化から逃れられたのは、リベリアとエチオピアのみ。もともとリベリア共和国は、合衆国の解放奴隷を送り込むために樹立された国。1822年から送り込みを開始し、1847年には独立を果たした。その後、アフリカのあらゆる地域が植民地される中、独立を維持した。  B 問4  13  正解は① 解説 古代ローマの政治体制に関する問題。 ①	正 王政期には、エトルリア人の王がいた。エトルリア人は、ギリシア人との交易などを通して繁栄し、ローマを支配していた。しかし、BC6世紀にはローマから追放され、さらにはBC3世紀にローマに征服されることになった。 ②	誤 共和政初期には、貴族(パトリキ)が要職を独占していた。貴族(パトリキ)はローマで資産を持つ上位階層。反対に平民(プレブス)は、身分闘争を展開し、政治上の権利を獲得していったが、平民が要職を独占するまでには至っていない。 ③	誤 帝政が始まったのは、オクタウィアヌスがアウグストゥスの称号を獲得したとき。ローマの帝政はBC27年の元首政(プリンキパトゥス)から始まったとされている。 ④	誤 帝国が東西に分裂したのは、テオドシウス帝の死後(395年以降)。  問5  14  正解は② 解説 中世ヨーロッパにおいて東方貿易に従事し、香辛料の取引で栄えた都市は、ヴェネツィア。東方貿易は、地中海東岸に送られてきたアジアの物産品を、北イタリア諸都市がヨーロッパ各地に運んだ貿易。そして、ヴェネツィアの位置として正しいのは、bである。よって、正解は、②ヴェネツィアーbである。ちなみに、アムステルダムは、17世紀前半に貿易・金融・文化の中心として繁栄した都市。

故国(=ロシア)で生じた革命に関する問題。誤っている選択肢を選ぶことに注意する。 ①	正 「土地に関する布告」が採択されたのは、ロシア革命においてである。1917年の十一月革命において、ソヴィエトの大会で、「平和に関する布告」と「土地に関する布告」が採択された。後者は、社会主義化政策の一つであり、内容には地主の所有地を無償で即時没収、土地の私的所有廃止を含んだ。 ②	誤 キール軍港での水兵反乱がおこったのは、ドイツ。キール軍港の水兵反乱(1918年)は、ドイツ革命の端緒となった反乱。第一次世界大戦の敗戦目前にして、ドイツ海軍はイギリス艦隊に出撃を命じたが、これに水兵たちが反抗し、全国的にこの反抗が波及し、ドイツ帝国の崩壊に導いた。 ③	正 レーニンが「四月テーゼ」を発表したのは、ロシア革命時。「四月テーゼ」は、1917年4月にレーニンが発表したボリシェヴィキの革命戦略要綱である。臨時政府を否認し、全権力をソヴィエトに移行することを目指した。また「四月テーゼ」以降のボリシェヴィキのスローガンは「すべての権力をソヴィエトへ」。 ④	正 ケレンスキーが臨時政府の首相となったのは、ロシア革命時の出来事。1917年7月に社会革命党のケレンスキーが臨時政府の首相に就任した。十一月革命後には、反革命軍を組織したが、失敗し、亡命した。  C 問7  16  正解は① 解説 メキシコ革命に関する穴埋め問題。メキシコ革命に関わった人物名が4つの候補中、2人しかいないため、比較的正答を選びやすい。 ア	ディアスが入る。メキシコ革命以前の独裁体制を敷いていた大統領は、ディアス。メキシコ革命で打倒され、1911年にアメリカに亡命した。ちなみに、フランコは、スペインの軍人。モロッコでの反乱で指揮をとり、内戦の口火を切った人物。内戦勝利後、総統となり、独裁政治を展開した。 イ	サパタが入る。農民指導者を率いたのは、サパタ。マデロと呼応して農民軍を組織するも、農地改革に対する見解からマデロと離反した。ちなみに、ペロンは、アルゼンチンの大統領。独裁的な政治で、アメリカ資本と対立し、1955年の軍部のクーデタで失脚・亡命した。1973年に帰国し、再度大統領となるも、病没した。  問8  17  正解は② 解説 国民政府が統一した後の中国政治に関する問題。 ①	誤 カイロ会談は、アメリカ合衆国・イギリス・中国の3国首脳で行われた。1943年に行われたカイロ会談は、米(ローズヴェルト)・英(チャーチル)・中(蒋介石)を集めた首脳会談。ここでは、対日戦の協力と戦後処理を議題とした。 ②	正 汪兆銘を首班とする親日政権(対日協力政権)が建てられた。1938年に重慶の政府を脱出した汪兆銘は、1940年に日本の傀儡政権である南京政府の主席となる。

③	誤 中華ソヴィエト共和国臨時政府は1931年、毛沢東の指導のもと瑞金で成立した。 ④	誤 八・一宣言を出したのは、中国共産党。八・一宣言(1935年)では、コミンテルン第7回大会で定期された人民戦線をうけて、内戦の停止と抗日民族統一戦線の組織を主張した。  問9  18  正解は④ 解説 民主化政策や民主化運動に関する問題。 ①	誤 チャウシェスクの独裁体制が崩壊したのは、ルーマニアにて。ルーマニアで独裁政治を展開していたチャウシェスクは、1989年に処刑された。 ②	誤 韓国では、朴正煕によって民主化運動が抑制された。1963年に大統領となった朴正煕は、高い経済成長率を達成した大統領として名をあげるが、1973年に高揚した民主化運動を弾圧した。 ③	誤 九・三〇事件によって民主化運動が抑圧されたのは、インドネシア。1965年の九・三〇事件は、インドネシアで起こった事件で、この事件を機に共産党勢力が壊滅し、スカルノにかわってスハルトが実権を握り、1968年に大統領に就任した。 ④	正 台湾では、李登輝によって民主化が推進された。李登輝は、1988年から総統に就任し、1992年に初めての立法院委員(国会議員)選挙をおこなうなどして民主化を進めた。

創始した。 ③	誤 均田制を創始したのは、北魏である。隋や唐でも行われた。 ④	誤 ティマール制を施行したのはオスマン帝国である。  問2   20  正解は③ 解説 ①	誤 朱全忠は、唐を滅ぼし、後梁を建国した節度使である。清朝が文字の獄で反清思想を弾圧したという点は正しい。 ②	誤 曹操は三国時代の魏の創始者。焚書・坑儒を行ったのは秦である。 ③	正 日本は1925年、治安維持法を制定して国民の思想、社会運動を統制した。 ④	誤 カトリック教徒解放法は、イギリスの法律である。それまでは公職につけるのは国教徒のみであった。  問3   21  正解は④ 解説 ア	アフリカ探検を行ったのはスタンリーである。タスマンはタスマニアやニュージーランドなどを探検した。 イ	アムンゼンは南極点への初到達を達成した。北極点に初めて到達したのはピアリ。  B 問4   22  正解は④ 解説 隋の時代には大運河の建設が進められた。これは地図上の位置でいうとbになる。aは黄河を示す。  問5   23   正解は③ 解説 ①	誤 契丹が燕雲十六州を巡って争ったのは、秦ではなく宋である。 ②	誤 ネーデルラントの北部7州からなるユトレヒト同盟は、スペインからの独立を要求した。 ③	正 米州機構(OAS)は、1948年に成立した、南北アメリカ21か国による反共協力組織。 ④	誤 エフタルはササン朝を圧迫したが、6世紀半ばにササン朝と突厥の挟撃により滅びている。ムガル帝国は1526年に建国された。

①	誤 五胡が華北で勢力を広げたのは、魏晋南北朝時代である。 ②	正 農民の間の貧富の差が開き、没落・逃亡するものが増える中で府兵制の実施が困難になると、傭兵を用いた募兵制が導入された。 ③	誤 康熙帝は清の皇帝である。ジュンガルと戦ったという点については正しい。 ④	誤 ロシアが沿海州を獲得したのは、1860年に清とロシアの間で結ばれた北京条約においてである。 ⑤	 C 問7    25  正解は④ 解説 ①	誤 五銖銭を発行したのは、前漢の武帝である。 ②	誤 交鈔は元で用いられた紙幣である。 ③	誤 レンテンマルクを発行したのは、ドイツの首相のシュトレーゼマンである。ストルイピンはロシアの政治家。 ④	正 イギリスのマクドナルド挙国一致内閣は、1931年に金本位制を停止した。  問8    26  正解は④ 解説 ①	誤 マラトンの戦いでは、アテネの重装歩兵部隊がペルシア軍に勝利した。スパルタはこの戦いには参加していなかった。 ②	誤 オドアケルは、西ローマ帝国を滅亡させた人物である。 ③	誤 ヴァレンシュタインは皇帝軍側について戦った傭兵隊長である。スウェーデンは新教国側で、これを率いたのはグスタフ=アドルフ。 ④	正 インドでは1857年、シパーヒーの反乱が起こった。イギリスはこれを鎮圧してムガル帝国を滅ぼし、インドを直接統治下に置いた。  問9    27  正解は③ 解説 a	誤 プロノイア制が用いられたのは、ビザンツ帝国である。 b	正 秦の中央主権的な郡県制が諸侯の不満を買い、秦を滅亡に導いたという反省から、漢の高祖は郡県制と封建制をあわせた郡国制を敷いた。

解説 インカ帝国の位置と、征服者の名の組み合わせ問題。 インカ帝国は、現在のエクアドル~チリにかけてのアンデス高地に建設された帝国であるため、地図上の位置はbとわかる。また、インカ帝国を征服したのはピサロである(1533年)。よって、正解は④b―ピサロ。ちなみに、aはアステカ王国を指している可能性が高い。アステカ王国は1521年にコルテスによって滅ぼされている。  問2  29  正解は④ 解説 アメリカ大陸の銀とその流通に関する穴埋め問題。 ア	ポトシが入る。アメリカ大陸で有名な銀山はポトシ銀山。そこで採掘された銀は、太平洋を渡ってフィリピンに至る。ちなみに、クスコはインカ帝国の首都。 イ	マニラが入る。スペインの拠点であり、アカプルコ貿易が行われていたのはマニラ。ちなみに、フエはベトナム中部の都市で、阮朝時代の都。  問3  30  正解は③ 解説 世界史上の海戦に関する問題。 ①	誤 アクティウムの海戦で、アントニウスが敗北した。アクティウムの海戦は、オクタウィアヌスとアントニウス・クレオパトラ連合軍の戦いである。その結果、地中海の周辺地域はローマの下に統一され、ローマの内乱状態は終結した。 ②	誤 トラファルガーの海戦では、イギリス艦隊が勝利した。トラファルガーの海戦はフランス・スペイン

艦隊とイギリス艦隊の戦いであり、1805年にネルソンの指揮するイギリス軍がフランスに勝利した。このことをうけて、ナポレオンはイギリス本土侵攻を断念した。 ③	正 プレヴェザの海戦で、オスマン帝国が勝利した。プレヴェザの海戦(1538年)は、オスマン艦隊とスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊の戦いで、前者が勝利した。 ④	誤 ミッドウェー海戦で、アメリカ艦隊は勝利した。ミッドウェー海戦(1942年)は、アメリカ海軍と日本海軍の戦いで、前者が勝利した。この敗北をきっかけとして、日本が太平洋での主導権を失う。  B 問4  31  正解は② 解説 自然哲学や薬学の正誤問題。 a	正 タレスは、万物の根源を水だと考えた。ギリシア初の自然哲学者であるタレスは、イオニア学派の祖であり、「哲学の父」と称された。 b	誤 宋応星は、『天工開物』を著した。『天工開物』は、明代の産業技術書で、1637年に刊行されている。中国の伝統的な生産技術が記されており、豊富な図版を使用して生産工程を解説している。ちなみに、『本草綱目』を著したのは李時珍。  問5  32  正解は① 解説 2世紀に成立し、インド文化の影響を受けたのは、チャンパー。チャンパーは、2世紀末にベトナム中部にチャ ム人が建てた王国で、4世紀末からインドの影響を受け始める。また、インドと中国南部との中継貿易で栄えた。そして、地図上での位置はaが対応する。よって、正解は①チャンパーーaである。 ちなみに、マタラム王国は、16世紀末に、ジャワ島中・東部を支配した王国で、17世紀前半に全盛期を迎えた。  問6  33  正解は② 解説 世界史上の船に関する出来事に関する問題。 ①	誤 無制限潜水艦作戦を実行したのは、ドイツ。第一次世界大戦中(1917年)にドイツがイギリス封鎖を狙って、無制限潜水艦作戦が実行された。地上戦での苦戦を打破するために、指定水路以外を通過する船は無警告で撃つと宣言した。この作戦を宣言したことをきっかけに、アメリカはドイツと断交し、ドイツに対し宣戦布告した。 ②	正 三段櫂船を用いて戦ったのは、アテネ。三段櫂船は、アテネで使用された、上中下3段にならんだ漕ぎ手が櫂を使って動かす軍船。サラミスの海戦の時に、漕ぎ手の多くは無産市民であったが、戦後彼

らの地位が上昇した。 ③	誤 蒸気船を実用化したのは、フルトン。フルトンは、1807年に蒸気船(外輪式蒸気船クラーモント号)を発明し、ハドソン川を航行した。 ④	誤 亀甲船を用いたのは、韓国。亀甲船は、李舜臣が利用した軍艦であった。倭寇への対策から開発された軍艦とされ、厚い木材の屋根で甲板が覆われている。  C 問7  34  正解は①	 解説 河川や水路の整備・開発に関する年代並び替え問題。 a	スエズ運河が開通したのは、19世紀後半(1869年)。スエズ運河は、レセップスが建設した地中海と紅海をつなぐ運河で、1859年に着工し、10年後に完成した。この運河が開通したことで、ヨーロッパとアジアの距離が一気に短縮した。 b	アメリカ合衆国で、テネシー川流域開発公社(TVA)が設立されたのは、20世紀前半(1933年)。TVAの設立は、世界恐慌の対策としてのニューディール政策の一環で設立された総合開発事業。ダム建設や発電、植林などを進めることで、雇用促進をはかった。 c	アスワン=ハイダムの建設が目指されたのは、20世紀後半(完成は1970年)。エジプトの近代化をはかるために、建設されたダムがアスワン=ハイダム。しかし、当初援助を予定していたイギリス・アメリカは、ナセルがソ連への接近をはかると援助計画を撤回した。このことをきっかけに第2次中東戦争が勃発した。 よって、a→b→cが正しいため、正解は①。  問8  35  正解は② 解説 木材や鉄に関わる歴史に関する問題。 ①	誤 鉄製武器を初めて本格的に使用したのは、インド=ヨーロッパ語系のヒッタイト人。ヒッタイト人は、バビロン第1王朝を滅ぼし、はじめて鉄器を使用し、馬と戦車を駆使した。しかし、BC12世紀に「海の民」や外敵の侵入によって滅亡としたとされる。 ②	正 製鉄で繁栄したクシュ王国は、メロエを都とした。クシュ王国は、エジプト新王国の滅亡後に建てられた王国だが、BC8世紀にエジプトに進出してテーベを都にしたエジプト第25王朝を建国した。しかし、アッシリアの攻撃で退却し、BC670年にメロエに遷都した。 ③	誤 フィレンツェは、ハンザ同盟都市ではない。ハンザ同盟は、リューベックを盟主とした北ドイツ諸都市の連合体。北海・バルト海交易で海産物・木材・穀物・毛皮などを取引した。 ④	誤 コークスを用いた製鉄法を発明したのは、ダービー父子。1709年に父が製鉄燃料を石炭からコークスにかえることを可能にし、1735年に子が技術を発展させた。このことで、鉄の大量生産が可能になった。

植物学などの自然科学に関する穴埋め問題。 ア	リンネが入る。18世紀に植物分類学を確立したのは、リンネ。彼は動植物の分類について研究し、特に植物分類法の体系化に大きく貢献した。 イ	ゲーテが入る。19世紀前半に『ファウスト』を著したのは、ゲーテ。彼はドイツの詩人・作家であり、シラーとともにドイツ古典主義文学を大成した。