第1問 評論
センター試験の国語は、2016年度は本文・設問ともに易しく平均点も非常に高かったが、この2017年度は本文・設問ともに難易度が上がった。
第1問の評論は、小林傳司の『科学コミュニケーション』からの出題。設問の中では、問4は正解の選択肢と誤った選択肢を峻別するのが難しいといえるかもしれない。こうした設問で正解を出すためには、選択肢を要素分解的に捉えて、どの要素がその選択肢には含まれていて、どの要素が不足しているかを精査していくことが必要である。

第2問 小説
第2問では、100年以上前の近代小説から、現代の小説まで、幅広い分野から出題される。近年の出題を振り返っても、バラエティ豊かな題材が選ばれていることがうかがえる。2017年度は、100年以上前に発表された近代小説からの出題であった。このような小説では、現代との時代背景の差異や、言葉遣いの違いに戸惑うことも多いが、本問は現代の私たちにとってもわかりやすい内容であり、本文の長さも110行程度と長くないことから、受験生にとっても取り組みやすい問題であったと思われる。
問1は、語句の辞書的な意味を覚えていればすぐに適切な選択肢を選べる問題であったが、逆に語句の意味がわからない場合、文脈から推測するのはなかなか難しかっただろう。問2から問5の本文の内容理解を問う設問は、傍線部前後の内容を正しく把握することにより、十分に正答に至ることができる設問であった。問六については、片方の選択肢は容易に選べるものの、もう一つの正答については本文にある根拠を見つけ出すのが難しく、最後まで迷った受験生も多かっただろう。全体的には、例年の第2問と同程度の難易度であったと思われる。

第3問 古文
江戸時代の擬古物語宮部万作『木草物語』からの出題。源氏物語の浄書に携わり、王朝文化の影響を受けた女流作家なだけあって、昨年出題された説話とは一転し、恋愛あり、主従関係あり、出家者ありという典型的な物語の文章であった。主要登場人物が少なく、起承転結がはっきりしていたため、主語を正確に追っていれば完璧に内容が把握できただろう。貴公子が出かけた先で女性を垣間見て恋に落ち、手紙でやり取りをするという、古文王道の場面だったことも理解しやすさに拍車をかけた。文章量は昨年より少なく、単語も基本的なものを理解していれば大丈夫なので、例年と比べてもやや簡単である。和歌も2首詠まれているが、難しい修辞法もなく、地の文と変わらぬ理解のしやすさである。

第4問 漢文
江戸時代の儒学者、新井白石の『白石先生遺文』からの出題。珍しく日本人の文章からの出題であった。
文章の大意は、過去の物事を知ることの難しさを説き、未来の人々が白石の生きた時代の江戸について知る助けとなるよう『江関遺聞』を著したと述べて本文を結んでいる。
昨年より難化。前半部の比喩を理解するのが難しいが、「刻舟求剣」の故事を知っていれば問題を解く手がかりになった。一文一文が長く、文の構造に注意して丁寧に読み進める必要があり、読解に時間を要したと思われる。出題の傾向は例年とほぼ同じだった。

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たかが漢字1問だが、「されど漢字1問」である。傍線を引かれた漢字、選択肢の漢字ともにすべてを書けるように学習すれば、練習のときには知識の漏れがないかを確認できるし、本番では勘違いによる失点を防げる。 解答選択肢 (ア) 倍増 ①培養 ②媒体 ③陪審 ④賠償 ⑤倍 (イ) 要因 ①動員 ②強引 ③婚姻 ④陰謀 ⑤起因 (ウ) 厄介 ①利益 ②通訳 ③厄年 ④躍起 ⑤薬効 (エ) 宣告 ①上告 ②克明 ③黒白 ④穀倉 ⑤酷似 (オ) 癒 ①空輸 ②比喩 ③愉悦 ④癒着 ⑤教諭 問2  6  正解 ⑤ 解説 現代の科学技術について第二段落までに述べられていることを要約すればよい。20世紀以前には、科学研究は「思弁的、宇宙論的伝統に基づく自然哲学的性格」を持った知識生産でしかなかった。しかし20世紀以降、科学は技術と結びつき、国家競争の重要な戦力となった。つまり、国家の命運を左右する重要な存在になったのだ。第2段落では、実際に科学技術は国家に巨額の投資を強いていることが述べられている。これは、現代の国家が科学のもたらす利益を重視していることを意味する。 以上のことをまとめると、現代における科学は、従来の自然哲学的性格を持った知識生産としての側面が薄れ、技術と結びついて国家に利益をもたらす点が重視されているということがわかる。このことは、第3段落においても「現代の科学―技術では、自然の仕組みを解明し、宇宙を説明するという営みの比重が下がり、(中略)自然に介入し、操作する能力の開発に重点が移動している。」と表現されている。自然に介入し、社会の諸問題を解決する力が重視されているということだ。これらの内容を踏まえた上で傍線部の適切な言いかえがなされている選択肢は⑤であり、これが正解である。 ①「国家の莫大な経済的投資を要求する主要な分野へと変化している」ことは、現代の科学技術が「重要な装置となってきている」ことの言い換えとしては不適切である。
②現代の科学技術は先進国同士の競争における重要な戦力であるからこそ、国家の社会体制を維持する上で無視できない存在なのであり、「人々の暮らしを自然災害や疾病から守り、生活に必要な製品を生み出す」ことだけでは不十分である。また、「国家に奉仕し続ける任務を担うものへと変化している」ということは本文で述べられていない。 ③現代の科学は、「先進国間の競争の時代を継続させる戦略の柱」ではない。先進国の社会体制を維持するためのものである。また、科学が「為政者の厳重な管理下に置かれる国家的な事業」であるとは本文で述べられていない。 ④確かに、「現代の科学は世界大戦の勝敗を決する戦力を生み出す技術となった」が、「『もっと科学を』というスローガンが説得力を持っていた頃の地位を離」れたわけではない。その時代にはすでに科学は技術と結びつき、「先進国の社会体制を維持する重要な装置」としての地位を確立しつつある。 問3  7  正解 ④ 解説 「こうして」とあるので本文を前にさかのぼろう。「『もっと科学を』というスローガン」についての話題は第三段落から始まっているため第三段落から確認していくと、「十九世紀から二十世紀前半にかけては」「科学―技術は社会の諸問題を解決する能力を持っていた」ので、「『もっと科学を』というスローガン」は説得力のあるものだったと述べられている。「しかし」、「二十世紀後半」からは「科学―技術は両面価値的存在になり始める」と筆者は述べる。 さらに読み進めていくと、「現代の科学―技術では」「自然に介入し、操作する能力の開発に重点が移動した」結果、「自然の脅威を制御できるようになってきた」一方で、「科学―技術の作り出した人工物が人類にさまざまな災いをもたらし始めてもいる」とあるので、「科学―技術」が「両面価値的存在」になるとは、科学は恩恵をもたらすだけでなく災いももたらしうると認識され始めたということだとわかる。以上の内容を過不足なく述べられている④が正解。 ①「自然に介入しそれを操作する能力の開発があまりにも急激で予測不可能となり」の部分は、「能力の開発が」「予測不可能」であるとは述べられていないため誤り。また「明白な警戒感」も、本文には「『科学が問題ではないか』という新たな意識が生まれ始めている」としかなく、「明白な」は言い過ぎ。 ②「営利的な傾向が強まり」とは本文に述べられておらず誤り。 ③「日常の延長上で」は十九世紀以降の科学が「職業的専門家によって各種高等教育機関で営まれる知識生産」であることに矛盾。また、「人工物を作り出すように」なったことが「違和感」を高めたのではない。 ⑤科学が「市民の日常的な生活感覚から次第に乖離」することにより「その現状に対する漠然とした不安感が広がりつつある」といったことは述べられていない。 問4  8  正解 ③ 解説  コリンズとピンチによると「現代では、科学が、全面的に善なる存在か全面的に悪なる存在かのどちらかのイメージに引き裂かれている」という。本文によると、このようないくらか極端な科学に対するイメージが生まれたのは「科学が実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」で捉えられているからだという。無謬というのは間違いがないといった意味で、すなわちこの部分は科学(技術)が絶対に間違いのないものだと思われている(つまり全面的に善である)ということである。そのようなイメージの下で「チェルノブイリ事故や狂牛病」といった事件が起こると、「一転して全面的に悪なる存在というイメ
ージ」に変わるのだという。この問題に対する「処方箋」は、科学の「実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」を「不確実で失敗しがちな向こう見ずでへまをする巨人のイメージ」ことなのだという。「ゴレム」とは人間に寄与する一方で、不器用で危険でもあるというのは第五段落で述べられている通りであり、結局科学のイメージをこの「ゴレム」に取り換えるとは、神のイメージから「科学は人間の役に立つ一方で、危険な側面もある」という風なイメージに取り換えるということを意味する(こうすることで、そもそも人々が「幻滅」するということはなくなる)。これに合致するのは③である。 ①後半部分のような内容は本文で述べられておらず不適。 ②「その成果を応用することが容易でない」とは述べられていない。 ④コリンズとピンチは後半部分のような内容を主張したいのではない。(そもそも科学とは危険なものなのだから、幻滅するのはおかしい)。 ⑤一番厄介な選択肢だったろうと思われる。③と比較して、「ゴレム」の「人間を守りもする」という性質に対応する「科学は人間の役に立つ」という内容が後半部分において欠けている点がまずい。よって不適。 問5  9  正解 ④ 解説 コリンズとピンチの議論というのは、第11段落でまとめられている。科学は無謬の知識であるというイメージを、「ゴレムのイメージ」という「ほんとうの」姿でとらえなおすことで、科学を一枚岩とみなす発想を掘り崩すことができるというものだ。そのために、彼らは専門家と政治家やメディア、そしてわれわれとの関係を一般市民に伝えるべきだと主張している。 なぜコリンズとピンチの議論の仕方に問題があるのかは、「結局のところ」で始まる13段落を読めばわかる。彼らの議論は、「一般市民は一枚岩的に『科学は一枚岩』だと信じている」という前提があり、ここに問題がある。なぜならこれは、科学の「ほんとう」の姿を知っているのは科学社会主義者であるという答えを導くものであるからだ。科学社会主義者以外の人間は科学を正当に語る資格がないとみなす態度は、第10段落にあるような、科学者が一般市民は科学に対して無知であるとし、科学に関わる決定を下すことはできないとする態度と似通っており、この点において彼らは批判すべき科学者と同じである。これが彼らの議論に問題がある理由である。このことを踏まえると正解は④となる。 ①コリンズとピンチが、すでに彼らの提示したような科学イメージが存在していることを見落としていたこと自体は、彼らの議論の根本的な問題ではない。 ②コリンズとピンチは、「市民に科学をもっと伝えるべきだ」とは主張していない。これは科学者の主張である。 ③一般市民にとって、「実際には専門家の示す科学的知見に疑問を差しはさむ余地はない」ことは、コリンズとピンチの議論の仕方の問題として本文で指摘されていない。 ⑤社会科学主義者が「科学知識そのものを十分に身に付けていない」ことは、コリンズとピンチの議論の仕方の問題として指摘されていない。 問6 (ⅰ) 10  (ⅱ) 11  正解 (ⅰ) ③  (ⅱ) ① 解説 (ⅰ)確かに、本文では最終的にコリンズとピンチの主張を相対化し、その問題点を指摘しているが、それは第12段落以降での展開であり、該当する箇所のある第6段落ではまだそのような段階には達しておらず、また「処方箋」には対症療法であるという否定的なニュアンスはない。したがって、③が本問の正解。 その他の選択肢については、そこに書かれている表現に関する説明はすべて適当である。
ⅱ)確かに、第1段落~第3段落では十六世紀から二十世紀にかけての科学の諸状況を時系列的に述べてはいるが、第4段落は冒頭に逆接の「しかし、科学者は依然として「もっと科学を」という発想になじんでおり、…」と、科学者はこれまでの流れに反するような立場であることが述べているため、「その諸状況が科学者の高慢な認識を招いたと結論づけて」はおらず、そうした方向で「ここまでを総括して」もいない。したがって、①が本問の正解。ア)  「呆気に取られる」とは、「思いもよらないことに出会って、驚き唖然とする」という意味の言葉である。さらに、傍線部前後では、子供が物珍しい運動会の様子に目を奪われている様子が述べられている。したがって、最も適切な選択肢は①である。 (イ)  「生一本」とは、「純粋でまじりけのないこと」という意味の言葉である。これに当てはまるのは②のみである。辞書的な意味を知らなくても、傍線部前後をよく読み、「少し頑固な点のある位」「時とすると衝突して喧嘩をした」という部分と前後関係が成り立つ言葉を探すことで、②を選ぶことは不可能ではないが、緊張した試験場で正確に推測をするのは難しかったかもしれない。 (ウ)  「あてつけがましい」とは、「相手に対して露骨に皮肉な態度を取る」という意味の言葉である。したがって、最も適切な選択肢は①である。この問題も、「あてつけがましい」の辞書的な意味を知らなくても、淑子さんに対して、〝淑子さんが来られないのならいっそ会そのものをなくしてしまおう〟と言ったという傍線部前後の状況から、①②④に選択肢を絞ることができ、「敵意」「憎悪」というほどの強い感情は抱いていないという判断から、①を選ぶことは可能だろう。 問2  15  正解 ④ 解説 第二段落で、「直子」は「絵の展覧会」に行くことに決めたが、展覧会を見終わったら、病床についていた頃に楽しみにしていた「あけび細工の籠に好きな食べものを入れてぶらぶら遊びながら」いくピクニックに出掛けることを「偶然な出来心」で思いついたのである。 さて、第一段落では、「直子」は「秋になると屹度何かしら病気を」してい
たが、「今年の秋は」「大変健やかで」「毎年よそに見はずした秋の遊び場のそこ此処を思いやったが、そうなると又特別に行き度いと思う処もなかった」と述べられており、子供と遊びに行きたいと思っているが、遊びに行きたいと思えるところが別段思いつけずにいることがわかる。 ここまでの内容から、「誠に物珍しい楽しい事」とは、〝前から望んでいた、あけびの籠を持ってピクニックに行くこと〟であり、「急に湧」くとは、〝偶然思いついた〟ことであると考えられる。 以上の内容を過不足なく含んだ④が正解。 ①「籠を持ってどこかへ出掛けたいと考えていた」わけではない。あくまで、「全く偶然な出来心で」思いついたのである。「子供と一緒に絵を見ることが待ち遠しくなった」というのも本文中に書かれていない。本文を読む限り、どちらかというと「直子」は「ピクニック」の方を楽しみにしていたと思われる。以上より、①は不適。 ②「長い間患っていた病気が治り」とあるが、「秋になると屹度何かしら病気を」したと書かれているだけで、「長い間患っていた」かどうかは微妙。また、「病気が治った」という記述は本文中にない。「全快を実感できる絶好の日になるとふと思いついた」などという内容は本文に書かれていない。以上より、②は不適。 ③「行き先がないと悩んでいた」とまで言っていいかは微妙。あくまでも、「特別に行き度いと思う処もなかった」とだけ本文には書かれている。さらに、この部分を大目に見るとしても、この選択肢には〝籠を持って出掛けることを待望していたが、籠を持ってピクニックに行くことを偶然思いついた〟という内容が欠落しているので、④の方がよい。③は不適。 ⑤「子供は退屈するのではないかとためらっていた」という内容は書かれていないので不適。 問3  16  正解 ⑤ 解説 傍線部は、「直子はそんな心持から女中の肩を乗り出して眺め入ってる自分の子供を顧みると、我知らず微笑まれたが、この微笑の底にはいつでも涙に変る或物が沢山隠れているような気がした」という一文に含まれている。ここでいう「そんな心持」とは、「可愛いと云うのか、美しいからか、清らかな故にか、なんにも知ら」ないが、「小さい子供の群れ」が「ただ小鳥のように魚のように、手を動かしたり足をあげたりしている、ただその有様が胸に沁む」という「心持」のことである。 今一度ここまでの内容を確認すると、「この微笑」とは、女中の肩から乗り出して眺め入ってる自分の子供を顧み」たときに「我知らず」出た「微笑」であった。 次に、「涙に変る或物が沢山隠れている」が何かを考えていく。本文中には明示されているわけではないが、「直子」が「涙」を流したのは、「ただ小鳥のように魚のように、手を動かしたり足をあげたりしている、ただその有様」に対してだという本文の記述からわかるように、なにか〝純粋なもの〟に心を動かされたからだと考えられる。つまり、「涙に変る或物が沢山隠れている」とは、〝純粋なもの〟に心を動かされて、「直子」は「訳もない涙」を流すことがしばしばあったが、この「涙」は本質的には、「この微笑」とどこかで通じていると「直子」は感じているということになる。 このような内容を過不足なく盛り込んだ⑤が正解。 ①「心弱さから流す涙」が間違い。「可愛いと云うのか、美しいからか、清らかな故にか、なんにも知らぬ」とあるので、「心弱さ」と限定するのは誤り。 ②「不安から流す涙」が間違い。「可愛いと云うのか、美しいからか、清らかな故にか、なんにも知らぬ」とあるので、「不安」と限定するのは誤り。 ③「子供の振る舞いのかわいらしさ」が本文に明示されておらず、微妙な表現。「純真さをいつまでも保ってほしいと願うあまり流れる涙」は誤り。「可
愛いと云うのか、美しいからか、清らかな故にか、なんにも知らぬ」とあるので、「純真さをいつまでも保ってほしい」と願望を込めた表現をするのは誤り。 ④「幸せそうな子供の様子に反応した」が本文に明示されておらず、微妙な表現。「苦労をして流した涙」が誤り。「可愛いと云うのか、美しいからか、清らかな故にか、なんにも知らぬ」とあるので、「心弱さ」と限定するのは誤り。 問4  17  正解 ② 解説 「こうした」という指示語の内容を考えて、傍線部の前を見ると、直子の娘時代の追憶が語られていることがわかる。六十二行から始まる回想部分から読み取れるのは、直子と仲が良かった学友の中には淑子さんという年上の友達がおり、彼女との思い出は彼女が亡くなった今でも鮮やかに直子の記憶に残っている、ということだ。ただ、その記憶を手放しで賛美するのではなく、過去の姿に引き比べて複雑な感情を抱いているということも読み取れる。 以上の内容を過不足なく踏まえている②が正解。 ①直子はかつての学友たちとの思い出を「無邪気な昔話」として語っているが、昔の自分を「無邪気で活発だった」「ささいなことにも心を動かされていた」と語っている記述は本文に無い。また、傍線部後半の「長い間の病気が自分の快活な気質をくもらせてしまったことに気づき」という記述も本文に無いため、不適。 ③「淑子さんと自分たちとの感情がすれ違ってしまった」という記述が誤り。確かに淑子さんは直子たちに内緒で絵のモデルとなっていたが、それを自ら明かした上、明かした後は「にこにこ笑って」いたのだから、この出来事は選択肢⑤にあるように「かわいらしい謎」とでも言うべきものであり、これによって直子たちと感情のすれ違いを引き起こすほど深刻な出来事ではない。また、後半部の「当時の未熟さが情けなく思われ」という記述も、「過去の姿の、如何にも価なく見すぼらしいのを悲しんだ」等の直子の心情としてはやや不適である。これらのことから、③は不適。 ④「もうこの世にいない淑子さんの姿がかすんでしまっている」という記述が誤り。むしろ直子は「彼「造花」の画のカンヴァスから此のカンヴァスの間にはかれこれ十年近くの長い日が挟まっているのだけれども、ちっともそんな気はしない。ほんの昨日の出来事で、今にもあの快活な紅い頬をしたお転婆な遊び友達の群れが、どやどやと此室に流れ込んで来そうな気がする。」と思っており、十年前に亡くなった淑子さんであっても昨日のことのように思い出せる、ということが読み取れる。後半の「懸命に思い出そうと努めている」という記述も本文に無い。よって、④は不適。 ⑤「女学生の頃の感覚を懐かしみ、取り戻したい」と直子が思っているという記述は本文に無い。むしろ、「過去の姿の、如何にも価なく見すぼらしいのを悲しんだ」とある。また、現在の直子も子供との外出を楽しんでおり、「ささやかな日常を楽しむことができた女学生の頃の感覚」という表現も引っかかる。よって、⑤は不適。 問5  18  正解 ④ 解説 直子と子供の関わりについて問われた問題であるが、参照すべき箇所は散在しているため、消去法で考えていくのがいいだろう。消去法で残った④を考えてみると、選択肢の前半については絵を楽しむ子供の様子を見守る本文中の直子の様子と合致し、また後半部に関しても本文には「まだ朝なのでこうした戯れも誰の邪魔にもならぬ位い入場者のかげは乏しかった」とあり、合致する。 よって、④が正解。
①直子が「念願だった秋のピクニックを計画する余裕もないほどに、子育てに熱中」している、という記述は無い。秋のピクニックに行けなかったのは、直子が子育てに熱中していたからではなく、直子がその時期になると体調を崩していたためである。よって①は不適。 ②直子が「長い間病床についていたために、ささいなことにも暗い影を見てしまう」という記述は無い。鴉にまつわる不吉なイメージを用いたひっかけであろう。確かに公園の鴉は「町中の屋根の端なぞにたまたま見るものなどよりもずっと大きく、ずっと黒く、異様な鳥のように直子の目に映った」と書かれているが、この場面は直子の子供が女中と一緒に鴉の鳴きまねをする場面であり、むしろ楽しげな雰囲気であることが読み取れる。よって②は誤り。 ③「運動会の小学生たち」を「直子には見慣れたものである秋の風物」としているのが誤り。運動会の小学生たちに関して、「直子も何年ぶりかでこんな光景を見たので、子供に劣らぬもの珍しい心を以て立ち留まって眺めていた」とある。よって③は誤り。 ⑤直子が「娘時代はもはや遠くなってしまったと嘆く」という記述が誤り。九十三行目からの記述にあるように、娘時代を遠いものだと思っているわけではなく、またそれを嘆いているわけでもない。よって⑤は不適。 問6  19  ~  20  正解 ④・⑤ 解説 選択肢のうち、適切でないものを選ぶ設問である点に注意して、消去法で解いていく。 ①傍点のついた1行目「あんよ」、23行目「さくさく」、24行目「あらわ」などを含む一文をみると、傍点があることにより、語の前後にあるひらがなから語が識別しやすくなっている。よって、この選択肢は適切なものである。 ②22行目以降の落ち葉に関する記述をみると、「灰色、茶色、鈍びた朱色」、「歩みの下にさくさくと鳴る」といった表現があり、視覚・聴覚の両面から表現されていることがわかる。また、46行目以降の日本画に関する記述にも、「赤や青や黄や紫や」といった、色彩に関する表現がある。よって、この選択肢は適切なものである。 ③38行目の「透明な黄色い光線」は、前後の文脈から屋外での秋晴れの光のことを表現していることがわかる。55行目の「真珠色の柔らかい燻したような光線」は、秋晴れの光のことを述べているのかどうか迷うかもしれないが、54行目の「高い磨りガラスの天井」という表現から、室内に差す太陽光の光を表現していると判断できる。よって、この選択肢は適切なものである。 ④これらの表現は、確かに直子が絵に関して無知であることを意味しているが、あくまでも〝直子が無知である〟という端的な事実を指摘しているのみであり、「突き放そうとする表現である」とは言い切れない。よって、この選択肢は適切でないものである。 ⑤本文中から、絵画や彫刻にかたどられているのが人物であるとは言い切れない。またこの表現は、絵画や彫刻に描かれたものについて述べているのではなく、品定めを受けていない絵画や彫刻それ自体が休息しているように見える、という比喩的(擬人的)な表現である。よってこの選択肢は適切でないものである。 ⑥68行目以降の回想場面では、かぎかっこによって会話が再現されることによって、直子が今その会話を体験しているかのように描かれている。また、93目に、「ほんの昨日の出来事で、今にも~遊び友達の群れが、~流れ込んで来そうな気がする」とあり、ここからも直子が過去の会話を昨日のことのように回想していることが窺える。よって、この選択肢は適切なものである。  以上より、④・⑤が正解。 ④の選択肢は、本文の該当箇所を読み直すことで確実に選ぶことができたと思われるが、③と⑤は、どちらも本文ではっきりと明言されていない内容に関する選択肢だったため、どちらを選ぶか迷った受験生も多かったのではないだ
突然のことなので、主は「御もてなしもしきれず、とても面目ないことですよ」と、急いで、魚を用意して、御供の人々をもてなし騒々しくしていると、君は「涼しいところへ」と言って部屋の端近くに寄りかかって横になり、くつろぎなさるご様子、場所柄いっそう素晴らしくお見えになる。  隣といってもとても近く、ちょっとした透垣などを渡してあるところに、夕顔の花が所狭しと咲きかけているのを、見慣れないけれども、趣深いとご覧になる。だんだんと暮れかかる露の光も濁る色がなく、降り立ってこの花を一房お取りになっていると、透垣の少し空いている隙からお覗きになれば、尼の棲み処と見受けられ、閼伽棚にちょっとした花など摘み散らしてあるが、そこへ五十歳ぐらいの尼が出てきて、水すすぎなどをする。花皿に数珠が押しやられてさらさらと鳴っているのもとても風流であるが、さらに奥の方からほのかに膝をついて出てくる人がいる。年齢は、二十歳ぐらいと見えて、とても白く小柄で、髪の裾も居丈ぐらいに大きく広がっているが、こちらも尼であろうか、夕暮れ時のわき見なので、よく見分けなかった。片手に経を持っている尼が、何事であろうか、この老尼にささやいてうち微笑んでいるのも、このような(質素な)葎の中には、不釣り合いなほど、優美でかわいらしい。とても若いのに、どのような気を起こしてこのように(世に)背いてしまったのだろうと、些細なことにも気を留めてしまう性分なので、とても可哀そうだと見捨てがたくお思いになる。  主は、御果物などを然るべき様子で持ち出して、「これだけでも」と、御もてなしするが、(君は、主を)入れても(そちらを)見ることはなさらない。(君は)とてもかわいらしい人をみたことだなあ、もし尼でないのならばと、知らずにはいられない気持ちがして、人がいない隙に御前にいる童にお尋ねになる。「この隣に住む人はどのような人か。知っているか」とおっしゃると、「主のきょうだいの尼と申しておりましたが、しばらく山里に住んでおりましたのに、この頃ちょっとこちらにおいでになって、君がこのように突然お尋ねになったのを、間が悪いと言って、主はとても煩っております」と申し上げる。「その尼は、年齢はいくつぐらいであるか」と、またお尋ねになると、「五十過ぎになっておりますでしょうか。娘のとても若いのも、同じように世を背いて、と伺ったのは、本当でございましょうか。身分ほどは卑しさもなく、とても気位を高く持っている人なので、おそらくはすっかり世に嫌気がさしてしまったのでしょうか。本当に仏に仕える心高さはすばらしいものです」と言ってうち微笑む。「かわいそうなことだ。それほど覚悟を決めたあたりに、無情な世間の話でも申し上げたい気持ちがするが、軽率でむやみなことも罪深いでしょうに、どのように伝えようか、試しに御手紙を送ってしまおうか」と言って、御畳紙に、「露のかかるわたしの恋心ははかないことだ、夕暮れに見かけた宿の夕顔の花よ」(と綴った。) 童は、真意はわからないが、何か用事があるのだろう
思って、懐に入れて行ってしまった。 (老尼の娘の)面影にも思い耽っていらっしゃると、人々、御前に参上し、主も「退屈でいらっしゃいましょう」と言って、色々な御物語などお話申し上げる間に、夜もたいそう更けていくので、君はあのお返事がとても見たいと、あいにくの人の多さを煩わしくお思いになって、眠たそうにふるまって、寄りかかって横になりなさるので、人々、御前に「さあ、早くお眠りください」と言って、そっと中へ入った。 かろうじて童が帰り、(君が)「どうだったか」とお尋ねになると、「『このような御手紙を伝え承るべき人はひとりもございません。届け先を間違ったのではないでしょうか』と、あの老尼は、意外にも申しました」と言って、「『世を背いた(尼の住む)卑しい葎の宿に、どんな夕顔の花を見たというのでしょう、こう申し上げなさってください』と、(老尼が)申すので、帰ってまいりました」と申し上げるので、どうしようもないけれど、道理なのだと考え直すも、眠ることがお出来にならない。不思議なことに、かわいらしかった面影が、夢でなく枕元にずっと添っている気がなさって、「近くにいながらも」と独り言をなさる。 問1  21  ~  23  正解 (ア)③ (イ)③ (ウ)④  解説 (ア)「にげなき」の意味を問う問題である。「にげなき」とは「似げ無し」の連用形であり、「釣り合わない」という意味である。よって解答は③ 「似げ無し」という単語を知らなくても、「葎の宿」にいる「らうたげ(かわいらしい)な若い女性」を描写していることから、文脈からも「不釣り合いだ」という意味を推測できる。 (イ)「聞こえまほし」は、謙譲の動詞「聞こゆ」+願望の助動詞「まほし」からなる。よって「申し上げたい」という意味になり、解答は③ (ウ)形容詞「あやし」の意味を問う問題である。「あやし」は自分には理解しがたいものに対する感情で、「不思議だ」「いやしい」という意味がある。傍線部(ウ)は、直後に、「らうたかりし面影の、~(かわいかった面影が枕元に付き従っている気持ちがして、)」とあることから、いやしいのではなく、不思議な気持ちになっていることがわかる。よって正解は④。 問2  24  正解 ⑤ 解説 波線部a~eを吟味してみよう。aは「給ふ」の未然形に接続しているので、打消の助動詞「ず」連体形。bは体言に接続しているので、断定の助動詞「なり」連用形。cは連用形に接続しているため、完了の助動詞「ぬ」終止形。dも連用形に接続しているため、完了の助動詞「ぬ」命令形。eは未然形に接続しているので、打消の助動詞「ず」連体形だとわかる。よって、a打消、b断定、c完了、d完了、e打消であり、正解は⑤。 問3  25  正解 ② 解説 まずは、傍線部Aは誰の「御心地」かを考える。第三段落目は、側近の蔵人が菊君に果物を差し上げる場面から始まる。しかし、「入らせ給うても見入れ給はず。いとあはれなる人を見つるかな~御心地」となるのである。果物をもらっても目もくれないほど尼に心惹かれているのは、菊君である。よって解答は①と②に絞ることができる。①と②のキーワードは「二人の尼に対する好奇心」か「若い尼に対する恋心」である。直前の「いとあはれなる~えやむまじき」から美しく若い尼に執心している(その後、恋文を送っている)とわかることから、「若い尼に対する恋心」がポイントである。よって正解は②。
「眠たげにもてない給うて」とは「眠そうにふるまいなさって」ということであり、その理由は直前の「君はかの御返し~わびしう思せば」、すなわち、童に託した手紙の返事を知りたいと思い、自分の周りに人がたくさんいることを不都合に感じているからである。よって正解は②。 ① 蔵人たちが、菊君が老尼の娘に手紙を渡したことに気づいた描写はなく、菊君の行動を警戒しているわけではないので不適。 ③ 菊君が「娘のもとに忍びこもうと考え」ている描写はない。あくまで童の帰りを待っているので不適。 ④ 菊君が蔵人を気遣っている描写はないので不適。 ⑤ 菊君が、「慣れない他人の家にいることで気疲れをしてい」る描写はないので不適。 問5  27  正解 ④ 解説 X・Yの和歌を吟味しよう。Xは菊君が老尼の娘を見初めた第二段落をもとに、菊君の、隣の住まいにいる夕顔のように美しい娘に対する露のように儚い恋心を詠んでいる。Yはそれに対する老尼の返歌で、出家した者の住むいやしく質素な住まいで、一体あなたはどんな夕顔のように女盛りの美しい人を見たのだろうか。(いや見たわけがない)と、しらばくれている。よって正解は④。 ① Yの歌には菊君の恋心が「一時の感傷に過ぎない」ものだと諭す記述はない。 ② Yの歌は、そもそも恋の対象である老尼の娘の存在を認めてはいないので、「あなたの気持ちには応えられない」という解釈は不適切。 ③ Y「何かに惑わされたのだろう」という記述はない。 ⑤ Y「この家には若い女性は何人かいるので、誰のことを指しているか分からない」という記述が不適。「『すべてかかる御消息伝えうけたまはるべき人も侍らず。』」から、そもそも、手紙をもらうような人がいないということを老尼は伝えたいのである。 問6  28  正解 ① 解説 全体の内容一致問題なので、選択肢をひとつひとつ吟味していく。 ①  第三段落で、菊君が蔵人の隣人について尋ねた後の部分を説明している。蔵人が尼ときょうだいであること、娘は気位が高いので出家したことは、本文の「主のはらからの尼となむ」「こよなう思ひ上がりたる人ゆゑ、おほくは世を倦んじ果て侍るとかや」にそれぞれ一致する。また、童が、お使いを頼んだ菊君の真意をはかりかねたが、何かわけがあるのだろうと察して、引き受けたことは、和歌Xの直後、「童は心得ず、あるやうあらむと思ひて、懐に入れて行きぬ」に対応している。 ② 「本心からの恋であるならそれも許されるだろう」が誤り。和歌Xの直前、「うちつけなるそぞろごとも罪深かるべけれど、いかがいふぞ、こころみに消息伝へてむや」より、菊君は自分の恋心が浮ついたものであることを自覚しており、そこまでの覚悟を抱いていないことがわかる。
③ 蔵人は菊君に「不満」や「不快」な感情を抱き、主人を憐れむ描写は一切ないので不適。 ④ 「菊君に娘の姿を見られてしまったので、蔵人に間の悪さを責められた」が誤り。第三段落の童の台詞に「月ごろ山里に~折り悪しとて、主はいみじうむつかり侍る」より、菊君と尼たちの滞在が被ってしまったことの間の悪さを蔵人は快く思ってはいないが、蔵人が、菊君が老尼の娘を垣間見たことに気づいた記述も、そのために老尼を責めた記述もないので不適。 ⑤ 「高貴な身分から落ちぶれた」「菊君から歌を贈られたことで心を乱し、眠れなくなった」が誤り。老尼の娘は気位の高さから出家したのであり、眠れなくなったのは、菊君の方である。全訳 雷鳴を数百キロ離れたところで聞けば、酒などを入れる器を叩いた音のように聞こえ、大きな川を数千キロ離れたところから見れば、帯がうねうねと絡まっているように見えるのは、それらが自分から遠く離れた場所にあるからである。そのため遠い未来から遠い過去のことを知ろうとするとき、時間の隔たりが大きいことから現在と過去の間に異なる点があることを知っておかなければ、「舟に刻みて剣を求む」という故事と同じ過ちを犯すことになる。いま剣を探している場所は、さっき剣を落とした場所ではないのに、剣を落とした時に舟につけた傷はここにあるから、ここが剣を落とした場所なのだと思ってしまう。なんと愚かなことではないか。  現在、そもそも江戸は、世間の人々が褒めたたえる、素晴らしくて大きな都市で、身分の高い人々が集まる場所であり、水陸の交通の要衝でもあり、まことに比類ない大都会である。しかし、その地名を、昔の記録に探し求めようとしても、まだ聞いたことがない。過去と現在の隔たりは日ごとに大きくなり、物事の変化もまたその間に生じないことがあるだろうか(いや、必ず過去と現在の隔たりは大きくなり、その間に変化が生じるものだ)。推察するに、未来と現在の関係においても、時代の隔たりはますます大きくなり、物事の変化もまたさらに大きくなっていき、未来の人々が知りたいと思う物事を探し求めようとしても不可能であることは、ちょうど現在と過去との関係と同じである。 私は人知れずこのことに心を動かされるところがあった。『遺聞』の書は、このような事情があったために書いた書物である。 問1  29  ~  30  正解 (ア)⑤ (イ)② 解説 (ア)「蓋」は「けだし」と読み、後に続く部分が書き手の推量であることを表す。現代語訳は「思うに・おそらく」。 (イ)「愈」は「いよいよ」と読み、程度がはなはだしくなることを表す。現代語訳は「一層・ますます」。
説 「千載之上」の「千載」は、「千年」の意。「千載一遇(千年に一度あるかないかという絶好の機会)」の「千載」と同じ。「上」には順序が先であることを表す場合がある(例「上巻」)。よって「千載之上」は「千年も前の時代=遠い過去」という意味になり、②が正解。直前の「千載之下(千年も後の時代=遠い未来)」と対になっている。 ⑵「舟車之所湊」は、江戸が「大邑(大きな都市)」であることを具体的に表した言葉。多くの舟や車が江戸を目指して集まり、江戸を起点として再び各地に散っていく様子を表現している。よって➂「水陸の交通の要衝」が正解。 問3  33   正解 ② 解説 傍線部Aは、「遠い過去の物事を現在から見ると、実際とはかなり違った姿に見えてしまう」ことを、比喩を用いて表現したものである。 ●「雷霆」「江河」=「過去の物事」 ●「百里之外」「千里之間」=「過去と現在の間の時間的な隔たり」 傍線部Aの現代語訳は全訳参照。 問4  34  正解 ④ 解説 傍線部B「豈不惑乎」は「なんと馬鹿げたことではないか」という意味。ここでの「惑ひ」は「馬鹿げたこと・見当違いであること」という意味だが、本文のみから推測するのは難しかったと思われる。ちなみに「刻舟求剣」の出典『呂氏春秋』を見ると、「不亦惑乎(亦た惑ひならずや)」という一文が出てくる。「刻舟求剣」の全文を読んだことがある人には有利な問題だったかもしれない。  解答の根拠となる部分は傍線部Bの一つ前の文。「剣を落とした場所から舟が移動しているのに、舟に付けた傷を頼りに剣を探そうとすること」は、「過去から現在に至るまでに長い時が経っているのに、それを無視して過去の物事を考えること」の例えである。よって正解は④。 問5  35  正解 ② 解説 まず、傍線部の前の文章では「江戸は天下の大都会である。けれども(而れども)~」とあり、これは比較的訳出しやすかったのではないかと思う。この文脈を前提に考えていく。傍線部を見ると、前半「其地之為名~」は漢字から地名と推測できる。次に「訪之於古」は「之を古に訪ぬるも」と書き下し、「昔の記録に探し求めようとしても」という意味。最後は「未之聞」で未だ之を聞かず、と書き下し、まだ聞いたことがない、という意味になる 問6  36  正解 ① 解説 傍線部の前を見てみると「吾窃に焉に感ずる有り」で意味は「私は人知れずこのことに心を動かされる所があった。なので」であり、これが理由であると分かる。傍線部前文の焉の内容はさらにその前文にあり、見てみると、「未来と現在の関係においても、時代の隔たりはますます大きくなり、物事の変化もまたさらに大きくなっていき、未来の人々が知りたいと思う物事を探し求めようとしても不可能であることは、ちょうど現在と過去との関係と同じである。」とある。このことを感じたので筆者は遺聞を書こうと思ったのである。 これを踏まえて選択肢を見ると、①が最もよくあてはまる。
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