第1問 港町と日本史
2017年度の第1問は,二人の大学生の手紙のやり取りをベースとした出題であった。問われている内容はやや難易度が高く,特に問5の写真読み取りは難しかったと思われる。教科書にのっている細かい知識をしっかり覚えていたかどうかが問われた。

第2問 古代の信仰と政治・社会
2017年度の第2問は,仏教に関するリード文から古代の歴史理解について問う問題だった。センター試験における標準的な難易度であり,主だった形式の変化もなく,基本の知識を問う問題ばかりであった。古代における歴史事項が幅広く問われており,基本事項を丁寧に押さえていたか否かが差になっただろう。

第3問 中世の政治・社会・文化
2017年度の第3問は,中世の幕府政治の変遷・商工業の発達・幕府と禅宗の関わりなどの面から出題された。基本的な知識を問う問題が多く出されたものの,選択肢を注意深く読むことを要求する問題も一部あった。選択肢を流し読みすることなく冷静に判断し,確実に点を取りたい大問である。

第4問 江戸時代の文化・社会
2017年度の第4問は,江戸時代の知識を文化や政治,社会など広い分野にわたって問う問題であった。文化史的な知識であっても,単語を個々に覚えるのではなく,時期や社会状況,場所などと絡めて覚えていれば解きやすい問題であっただろう。

第5問 明治維新前後の日本
2017年度の第5問は,幕末から明治初期にかけての政治・社会を中心に出題された。この時期は江戸幕府から明治政府へと変化する中で政治や民間を取り巻く状況が大きく変化する時期であり,受験生の苦手となりやすい範囲ではあるものの,複雑な判断を要求する出題は少なく,基本的な知識で解ける問題がほとんどであったといえよう。

第6問 公園で見る近現代史
2017年度の第6問は,歴史的出来事にかかわる公園をテーマにしたリード文に沿って,政治・社会に関係する出来事が問われた。参政権の拡大にともない,政府にとって世論が無視できないものとなっていく時代において,政治と社会を関連させて問う問題は頻出のテーマであるといえよう。

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ア 平戸が入る。「江戸時代初めにオランダやイギリスの商館がおかれた地」から平戸であるとわかる。1641年には,平戸のオランダ商館は長崎の出島に移されて,鎖国体制が完成した。 イ 三別抄が入る。三別抄は高麗王に直属していた3編制の精鋭部隊であり,元への抵抗を続けていたが1273年に鎮圧された。  問2  2  正解は③ 解説 ① 誤 高地性集落は弥生時代中期~後期にかけて,防衛的機能の面から高地に営まれた集落である。紫雲出山遺跡などが有名である。 ② 誤 平安時代に海賊らを率いて反乱を起こしたのは元伊予掾の藤原純友である。これを討ったのが清和源氏の祖である源経基である。 ③ 正 室町幕府や有力寺社は交通の要所に関所を設けて関銭・津料を徴収した。 ④ 誤 堤防を築いて溝を掘り,干満の差を利用して海水を塩田に導き入れる手法は,入浜法である。  問3  3  正解は① 解説 X 正 高向玄理・南淵請安・旻らの留学生・学問僧は遣隋使に同行し,その後大化改新で高向玄理と旻は国博士に任じられた。 Y 正 17世紀半ば,明の僧の隠元隆琦が禅宗の一派である黄檗宗を伝えた。

ウ a aは石見銀山を指す。16世紀,日本は世界の銀流通量の3分の1を占めていた。日本の銀の主要鉱山が石見銀山である。2007年に世界遺産に登録された。bは但馬生野銀山であり,石見銀山と並ぶ主要な銀山であったが,世界遺産には登録されていない。 エ c cは新潟を指す。1858年に結ばれた日米修好通商条約により,日米和親条約で定められた下田(横浜開港後閉鎖)と箱館のほかに,神奈川(のち横浜に変更)・長崎・新潟・兵庫の開港が定められた。  問5  5  正解は⑥ 解説 Ⅰ 太平洋戦争終戦後(1945年以後),将兵の復員や引揚げが行われた。 Ⅱ 満蒙開拓青少年義勇軍は1937年から発足した。正確な年号は分からなくても,満蒙開拓の語から満州事変後,終戦前の出来事であると判断できるだろう。 Ⅲ この電報は,1904年~1905年の日露戦争の際に出されたものである。ロシア(ソ連)が対日宣戦布告したのは,日露戦争と太平洋戦争の二つあるが,写真をよく見ると「二月十一日」と書いており,太平洋戦争におけるソ連の対日参戦(1945年8月8日)とは関係ないと判断できるが非常に難しい問題であろう。  問6  6  正解は④ 解説 ① 正 古代では,中央と地方とを結ぶ交通制度として,約16キロごとに駅家を設ける駅制がしかれた。 ② 正 中世では遠隔地取引が活発化し,馬借・車借とよばれる運送業者が活躍した。 ③ 正 近世では継飛脚や町飛脚が発達して,書状や金銀などを扱う飛脚問屋ができた。 ④ 誤 日本で最初の鉄道は,新橋駅と横浜駅の間に敷設された。

ア 蘇我が入る。飛鳥寺(法興寺)は蘇我馬子により建立された蘇我氏の氏寺である。 イ 郡司が入る。地方豪族が担った役職は郡司である。国司は中央から派遣された。  問2   8  正解は② 解説 ① 誤 大官大寺の記載に問題はないが,西大寺は8世紀後半,称徳天皇によって建立された寺院である。 ② 正 670年,天智天皇によって最初の全国的な戸籍である庚午年籍が作られた。 ② 誤 冠位十二階は聖徳太子や蘇我馬子らによって603年に定められたものである。 ② 誤 『旧辞』は6世紀に成立したとされる歴史書である。  問3   9  正解は③ 解説 a 誤 5世紀に,ヤマト政権は渡来人を韓鍛治部や鞍作部などの技術者集団に組織した。陵戸は律令制下における五色の賤の一つである。 b 正 6世紀,百済から渡来した五経博士により儒教が伝えられたほか,暦博士・易博士なども渡来し,暦法などが伝えられた。 c 正 7世紀,朝鮮半島における勢力争いの中で百済から亡命してきた貴族の影響などから,漢詩文が作られるようになった。 d 誤 8世紀には,遣唐使は新羅との関係悪化に伴い,朝鮮半島沿岸を通過する北路から東シナ海を横断する南路へ変更された。

Ⅰ 8世紀後半(785年),長岡京造都を主導していた藤原種継が暗殺され,首謀者とされた皇太子の早良親王は淡路へ配流となった。 Ⅱ 842年,承和の変を企てたとして,橘逸勢や伴健岑が流罪になった。 Ⅲ 740年,藤原広嗣は玄昉・吉備真備の排除を要求して九州で反乱を起こした。  問5   11  正解は③ 解説 ① 正 仏法が衰えて乱世を迎えるという末法思想が広がった11世紀半ば,藤原頼通により平等院鳳凰堂が建てられた。 ② 正 空也は,民間にも阿弥陀信仰を広め,市聖と呼ばれた。 ② 誤 定朝は寄木造の技法を考案して,浄土信仰の普及に伴う仏像の大量需要にこたえた。一木造は,密教がさかんであった平安時代前半に用いられた手法である。 ② 正 院政期には,富貴寺大堂のほか,中尊寺金色堂や白水阿弥陀堂など,阿弥陀堂が地方でも建立された。  問6   12  正解は② 解説 X 正 9世紀前半の823年に,大宰府管内に政府の直営田である公営田が設置された。 Y 誤 902年に醍醐天皇によって延喜の荘園整理令が出されてはいるものの,記録荘園券契所が設置されたのは1069年,後三条天皇の時代である。

X 正 鎌倉幕府の主な経済基盤としては関東御領や関東御分国(知行国)が挙げられる。関東御領は平家没官領や承久の乱後の院方から没収された荘園などにより構成された。 Y 誤 守護の職務として,天皇などの警護を行う京都大番役の諸国の御家人への催促があるが,将軍の御所は鎌倉にあり,そこの警護を行うのは鎌倉番役と呼ばれる。  問2  14  正解は③ 解説 a 誤 史料の1行目より,京方,つまり後鳥羽上皇側についたのは次郎ではなく太郎であることがわかる。 b 正 史料の2行目より,次郎は御方,つまり鎌倉幕府側について忠義を尽くしたことが読み取れる。 c 正 史料の3行目,「重俊の地頭職,相違なく安堵せしむべき」の記述により重俊は従来通り地頭職を安堵されることがわかる。 d 誤 史料には,太郎は後鳥羽上皇側に味方したものの,次郎が鎌倉幕府側に味方したため,地頭職が安堵されたことが書かれている。  問3  15  正解は① 解説 Ⅰ 鎌倉幕府の時代(1325年),建長寺の再建費の獲得を目的とした貿易船として,元に建長寺船が派遣された。 Ⅱ 鎌倉幕府滅亡後の建武の新政期,後醍醐天皇のもとで所領にかかわる訴訟を扱う雑訴決断所が設置された。 Ⅲ 『神皇正統記』は1339年頃南北朝の内乱の中で成立した。後醍醐天皇を継いで即位した後村上天皇までの時代が,天皇を中心に書かれている。  B 問4  16  正解は④ 解説 ア 管領が入る。有力な守護であった細川・斯波・畠山氏が三管領と呼ばれ,交代で将軍を補佐した。 イ 奉公衆が入る。室町幕府の直轄地である御料所などの警備にあたった。評定衆は鎌倉時代に設置され,政務や裁判に携わった役職である。

Ⅹ b 商工業者の同業組合である座は,本所に座役を納める代わりに関銭免除や販売の独占などの保護を受けた。大山崎油座は室町時代の代表的な座である。 Y c 室町時代には,日明貿易によってもたらされた良質な明銭のほかに,粗悪な私鋳銭などが流通し,粗悪な貨幣を避ける撰銭の動きが広まった。分一銭は,徳政令により債務の帳消しを認める見返りとして債務の一割を幕府に納めさせたものである。  問6  18  正解は① 解説 ① 正 倭寇の取り締まり要請をきっかけに日朝貿易が開始され,対馬の宗氏が統制にあたった。 ② 誤 足利義持が中断したのは明との朝貢貿易である。日明貿易は義持の後を継いだ義教の時代に再開された。 ③ 誤 日本からの主な輸出品が刀剣・屏風など,明からの主な輸入品が書籍や陶磁器などである。 ④ 誤 藤原隆信は鎌倉時代初期に似絵で活躍した人物である。室町時代に活躍した水墨画の名手は,如拙の他に明兆・如拙・雪舟などが挙げられる。

ア 近松門左衛門が入る。近松門左衛門は浄瑠璃作者として元禄文化を担った。代表作に『曽根崎心中』や『国性爺合戦』がある。井原西鶴も元禄文化を担った一人であり,浮世草子や俳諧で活躍した。 イ 明が入る。『国性爺合戦』は明の遺臣・鄭成功による明の再興劇を描いた作品である。リード文には「滅亡した イ の再興を目指し」とあるが,もう一つの選択肢である清は元禄期にはまだ滅亡していないことも判断基準になる。  問2  20  正解は④ 解説 ① 誤 末次平蔵は長崎の豪商である。富士川などを整備したのは,京都の豪商の角倉了以である。 ② 誤 十組問屋は江戸の荷受問屋で,大阪の荷積問屋は二十四組問屋である。また,これらの問屋はのちに株仲間となるが,このような株仲間の公認が進んだのは元禄期ではなく,享保から田沼の政治の頃である。 ③ 誤 幕末には江戸地回り経済圏が形成され,醬油などが地回り物として流通し,江戸の需要をまかなうようになった。 ④ 正 北前船は西廻り航路を用いて蝦夷地や日本海側の産物を大阪などに運んだ。  問3  21  正解は③ 解説 X b Xの作品は浮世絵を大成した菱川師宣の代表作の『見返り美人図』である。住吉如慶は住吉派の祖であり,幕府の御用絵師として大和絵を描いた。 Y c Yの作品は琳派の祖である尾形光琳の『八橋蒔絵螺鈿硯箱』である。野々村仁清は色絵の技法を大成し,茶壷を中心に優れた陶器を残した。  B 問4  22  正解は① 解説 ウ 松平定信が入る。老中松平定信は1787年から1793年にかけて寛政の改革を行った。水野忠邦は1841~43年にかけて,天保の改革を主導した老中である。 エ 尊号一件(事件)が入る。光格天皇は父である閑院宮典仁親王に太政天皇(上皇)の称号を送ろうとしたが,松平定信の反対で実現しなかった。紫衣事件は江戸時代前期,後水尾天皇が幕府に無許可で与えた紫衣(高僧に与えられる法衣)を幕府が剥奪した事件である。  問5  23  正解は① 解説 X 正 史料の「組のもの召し連れ,今日より相廻り」という文章から先手組は江戸市中の見回りを指示されたことがわかる。 Y 正 史料の「暴れ候ものども召し捕え,町奉行へ相渡さるべく候」という文章から,逮捕者を町奉行に引き渡すように命じていることがわかる。  問6  24  正解は➁ 解説

Ⅰ 宝歴事件は1758年の出来事である。竹内式部は京都で公家に尊王論を説いたため,幕府により京都から追放された。 Ⅱ 藤田東湖や会沢安が尊王攘夷論を説いたのは19世紀前半のことである。『大日本史』編纂事業の流れをくむ水戸学は,徳川斉昭の時代に再興し,藤田幽谷・東湖や会沢安が活躍した。 Ⅲ 明和事件は1767年の出来事である。幕政を批判して尊王論を説いた山形大弐は死罪となり,竹内式部は流罪となった。ア 徳川家茂が入る。リード文から ア の人物は第15代将軍徳川慶喜の前の将軍であるとわかり,第14代将軍である徳川家茂が入ると判断できる。徳川家定は第13代将軍で,子息が居なかったため,彼の死後将軍継嗣問題が起こった。 イ 明治天皇が入る。新政府の成立直後に即位したのは明治天皇である。孝明天皇は幕末期の天皇であり,公武合体の考えから,和宮降嫁を認めるなどした。  問2  26  正解は① 解説 X 正 幕末期,尊王思想は農村にも広まり,全国各地で世直しを求める世直し一揆が起こった。 Y 正 開国後の物価上昇や政治的混乱などで社会不安が広まるなか,1867年に東海・畿内で「ええじゃないか」の集団乱舞が発生した。  問3  27  正解は③ 解説 ① 誤 大久保利通は薩摩藩の人物である。長州藩の中で実権を握った人物は,高杉晋作・木戸孝允らである。 ② 誤 大久保利通は,岩倉使節団に同行した。留守政府の中心となった人物は,西郷隆盛・板垣退助らである。

③ 正 大久保利通は警察や地方行政などを管轄する内務省を設置し,初代内務卿に就任した。 ④ 誤 大阪会議は,大久保利通・木戸孝允・板垣退助らによって開かれた会議である。ここで立憲政体への漸進的移行の方針が確認され,翌月に(漸次)立憲政体樹立の詔が発表された。西郷隆盛はこの大阪会議に参加していない。  問4  28  正解は① 解説 ① 誤 三池炭鉱の払い下げをうけたのは,住友ではなく三井である。戦後の1960年に三井三池炭鉱争議が起きたこともヒントになるだろう。 ② 正 1881年,開拓使長官である黒田清隆が政商・五代友厚らに開拓使の官有物を破格の条件で払い下げようとし,問題となった(開拓使官有物払下げ事件)。 ③ 正 三菱は,長崎造船所の払い下げなどを受けて海運業を中心に発展し,1893年の三菱合資会社の設立により財閥の形態をとるようになった。 ④ 正 足尾銅山は民間に払い下げられたのちに古河市兵衛によって買収された。1900年頃には足尾銅山鉱毒事件が起こった。ア 血のメーデー事件が入る。1952年,戦後初のメーデーでデモ隊と警官隊が衝突し流血の大乱闘になった。三・一五事件は1928年に共産党員が大規模検挙された事件である。 イ 憲法が入る。1909年の20年前である1889年に,大日本帝国憲法は発布された。普通選挙法は1925年に護憲三派内閣が改正した衆議院議員選挙法の通称である。

Ⅰ 満州事変がおこったのは1931年~1933年であり,その二周年大会は1933年か1935年に開かれたとわかる。実際にこの大会は1933年に開催された。 Ⅱ サイパン島がアメリカ軍に占領されたのは1944年7月のことである。よって,サイパン奪回国民有志大会は1944年7月から1945年(終戦まで)の間で開催されたと考えられる。 Ⅲ 社会党が左右に分裂していることから,1951年から1955年の出来事だとわかる。社会党が分裂したのはサンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約に際してのことである。  問3  31  正解は④ 解説 X b 統監府は第二次日韓協約(乙巳条約)に基づいて設置され,外交権を持って内政に干渉した。初代統監であった伊藤博文は1909年に暗殺された。 Y d 血盟団とは井上日召を中心とする右翼団体であり,1932年に井上準之助や団琢磨らを暗殺した。虎の門事件は,のちの昭和天皇である裕仁親王が狙撃された暗殺未遂事件である。  B 問4  32  正解は③ 解説 X b 長崎造船所は旧幕府の長崎製鉄所で,1887年に三菱に払い下げられた。 Y c 八幡製鉄所は官営製鉄所として1901年に操業を開始した。清の大冶鉄山の鉄鉱石と筑豊炭田の石炭,のち満州の撫順炭鉱の石炭を使用した。  問5  33  正解は③ 解説 ① 誤 民撰議院設立建白書が掲載されたのは,イギリス人ブラックが創刊した『日新真事誌』である。『中央公論』は大正デモクラシーの論壇の中心となった総合雑誌である。 ② 誤 新聞紙条例は自由民権運動の高揚を受け,新聞や雑誌の言論を弾圧するために1875年に制定された。『横浜毎日新聞』は1870年に創刊された日本初の日刊紙である。 ③ 正 北村透谷は19世紀末に活躍した詩人であり,『文学界』を創刊してロマン主義を唱えた。 ④ 誤 大衆娯楽雑誌である『キング』は1925年に創刊され大衆文化の中心を担った。よって,明治期の出版や文化ではないので誤りである。

X 正 表を見て,1haあたり米生産量の増加率と田耕地面積の増加率を比べると,前者の増加率の方が多いのは明らかである。 Y 誤 農地改革で誕生した自作農のために1947年農業協同組合法が制定され,これにより各地に農業協同組合が設立された。よって時期が異なるので,1901年~1920年の米生産量の上昇に農協は関与していない。  C 問7  35  正解は③ 解説 ① 誤 『国体の本義』を刊行したのは文部省である。戦時中の思想教化に利用された。 ② 誤 1925年に治安維持法は制定され,国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社を禁止した。よって,「共産主義否認」の部分が誤った記述である。 ③ 正 普通選挙制のもとで行われた最初の総選挙で,非合法の共産党が公然と活動を行ったことをうけ,1928年に田中義一内閣は緊急勅令で治安維持法を改正,国体を変革する活動の指導者を死刑にできるようにした。 ④ 誤 ポツダム宣言には国体護持を保証する条件が含まれていなかったため,日本は国体護持のみを条件としてこれを完全受諾した。  問8  36  正解は⑥ 解説 Ⅰ 1918年,寺内正毅内閣は軍隊を出動して米騒動を鎮圧した。この責任を取って同内閣は総辞職することとなった。 Ⅱ 1910年,第2次桂太郎内閣の時期に,天皇暗殺を企てたとして社会主義者である幸徳秋水らが死刑となった大逆事件が起こった。 Ⅲ 1900年,第2次山県有朋内閣のもとで陸軍・海軍大臣を現役の大将・中将から任命する軍部大臣現役武官制が定められた。